前回の話で、僕の体験の中で、目標も夢も見つけられず、不登校になり、留年するところまで書きました。
結局、高校二年生の終わりに高校から離れた僕ですが、大学へ行こうと決意します。なぜ、そう思ったのか理由を書いていきます。
目次
高校を辞めた僕がなぜ大学を目指したのか
高校から離れてみて
高校から離れると、日々やることが無く、本当に暇な時間が続きました。
『不登校』だったとはいえ、日々の3分の2は高校に通っていたわけで、その時間が丸々空くと、想像以上にやることがありませんでした。一応、高卒認定試験(昔の大検)は受けようとは思ったのですが、それにしても時間を持て余します。
空いた時間ができることで、最初は暇を潰そうと、ゲームセンターに行っていたのですが、お金も尽きて、いよいよ遊ぶところが無くなっていきます。
そこで、初めて気づいたのは、『お金も所属(立場)も無い人間は、世の中に居場所がない』ということ。行く場所が無ければ家で過ごせばいいのでしょうけれど、元々家で過ごすのがあまり好きではなかったため、毎日外に出て過ごすことにしていたんです。
しかし、ネットカフェも喫茶店もゲームセンターも、腰を下ろしてゆっくりできるような場所は全てお金がかかるところばかりでした。フードコートでのんびりする時期もありましたが、無料の水ばかり飲んでいると、ある日、警備員に注意され追い出されてしまいました。
そんなこんなで、長い長い日々を河川敷や公園で寝たり、ゴミで捨てられている本を読んだり、ブックオフへ行ったりして、やり過ごしていました。雨が降ると行く場所が限られてしまうので、本当に憂鬱でした。
大学へ行こうと決めた
日々、時間を浪費して過ごすなかで、自分の将来について色々と考える事も多くなりました。
そんなある日、「大学へ行こう」と決意します。と、言っても、何か大きなきっかけがあったわけではありません。その決意も何となくのテキトーなもの。
理由は、ただ、中卒で働ける場所がほとんど無かったことと、結局社会に出る決心がつかなかったからです。
もはや学歴社会ではないと言われるこの世の中ですが、求人を見ると、どこも募集は『高卒以上』ばかり。少ないながら、中卒でも働けるところはありましたが、選択肢が限られており、結局、中卒という『ハンデ』を抱えながら社会に飛び出して、生きがいを持って働くという姿が想像できなかったんです。
ちなみに、高卒認定試験に合格したとしても、高校卒業と同じ学力があるということが認定されているだけで、高卒の資格は手に入らないんです。
つまり、自分が中卒から抜け出すには、何とかして進学するしかなくなったわけです。
大学を目指す
大学を目指すことにした僕ですが、無気力状態から脱却できたわけではありませんでした。
一応、高卒認定試験受験のために塾へは行っていたものの、出席率は3割以下。
なんとなく高卒認定試験は合格できる目処も立っていたし、大学は『頑張って合格する』のではなく『合格できるところを受ける』というスタイルで行こうと決めていたため、相も変わらず勉強する事はありませんでした。
8月に高卒認定試験を受験し、合格しました。そこから、今の学力で受かりそうな大学を探します。
学部学科は、当時なんとなく興味があった『環境』をキーワードに探していきました。
大学を受験した
大学受験は普通の高校生と同じように、センター試験と各大学の試験を受けました。
僕は、”得意な科目は成績が良く、苦手な科目はことごとく点が取れない”タイプだったので、得意な科目だけで勝負できるような大学を受験しました。とはいえ、苦手な科目の一つが『英語』だったので、受けることのできる学校はそう多くありませんでした。
何校か受験してみて、生意気にも「いくつかは合格したな」と思ったので、それ以降に受験する大学は試験にも行かず、ゲームをして遊んでいました。
今思うと最後の最後まで、最低な親不孝者だったように思います。
その後、環境を変えたいと思った僕は、合格通知が来た大学の中から、関東地方の大学に行くことを決め、上京しました。
果たして大学へ行く意味はあったのか
通常こういう話を書くときには、「高校を辞めた時点で奮起して、いい大学に行く」
というエピソードが定番かと思います。
しかし、僕の場合、最後の最後までモチベーションが上がることはなく、流れのままに大学へ行くことにしました。
それでも、こんなエピソードを書いたのは、やはり『大学に行ってよかった』と思うからです。
正直、大学一年生までは、高校時代と同じモチベーションで、講義の出席率も悪く、ギリギリで単位をもらっているような学生でした。
自分自身、「何とかしなくては!」と思うものの、人間なかなか変われるもんじゃありません。
そんな中、同級生に誘われたサークル活動が自分にとっての財産になったように思います。当初は別に興味の無い内容だった(というより、自分以外のものに興味が無かった)のですが、一つのテーマに対して、意見して議論が繰り広げられる、そんな真剣にかつ活発に発言しなければならない環境が、これまで遠くから物事を見るばかりだった自分にとって良かったのかもしれません。これまで、流れに身を任せ、直感ばかりで『考える』ということをしてこなかった僕でしたが、大学生活の中で考えることができるようになり、少し変われたような気がします。また、今思えば、サークル活動の内容も、潜在的に自分の興味のある分野だったのかもしれませんね。
お陰で、「断片的に…」ではありますが、自分のやりたいこと、モチベーションになりうるものも見つけることができたように思います。
まとめ
これまで生きてきて思うことは、人間、そう易々と変わることはできません。
将来の夢とか、やりたいこととか、そんなモノを無理に作り出し思い込んでも、心からやりたいことでなければ、そもそもモチベーションが生まれず、負担になるばかりです。
ただ、モチベーションが生まれないからといって何もしないと、生きること自体がどんどんと面倒になってきてしまい、どんどんと所属や立場、時間を失っていきます。そうなってから、自分の生き方を変えるのは本当にエネルギーを要するので、『最低限なにをすべきか』ということを見極めて、なるべく負担のない生き方をすればいいんだと思います。
まぁざっくりとした意見ですけどね(笑)
それで、もしやりたいことや夢が見つかった時には、「あの時、こうしておけば…」と、後悔するでしょう。無責任な言い方にはなりますが、後悔はすればいいんですよ。それを、きちんと受け止めることができて、初めて前へ進むことができるはず。人間は学習して生きる生き物で、今、過去、未来という『時間軸』がある以上、後悔せず生きることなど有り得ないと思います。
生きてきて、何度も耳にする「人生はやり直せる」というフレーズ、おそらく先人たちも僕と同じ悩みを持っていて、後悔を受け止めたからこそ、そう思ったのだと思いますよ。
高校を辞めることに関する現実的な話
そして、現実的な話ですが、僕が高校を辞めたとき、やはり「こうしておけば良かった!」と思うことはあります。
例えば、僕のように、高校へ行かないという選択肢もありますが、今思えば、通信制の高校に行って、高卒の資格を手に入れておけばよかったと思います。
もちろん、高校に行かないということで、いくつかメリットはあるのですが、デメリットの方が多いため、余程のこだわりが無い限りは高校は卒業しておくのが得策でしょう。
高校に行かないメリット
- 余計な人間関係に悩まされない
- 大学受験に必要の無い授業(体育や技術等)を受けずに済む(特に受験科目を決めているのであれば、その科目だけ勉強すればよい)
高校に行かないデメリット
- 高卒認定試験に合格しても、『高卒』にはなれない
- 大学進学のとき、推薦を受けられない
- 中卒は働くことのできる仕事の選択肢が少ない
- 社会人になっても面接の度に、なぜ高校を辞めたのか聞かれて面倒
- 高卒認定試験など、余計な手間も増えるため手続きが面倒
よく、「若いうちは買ってでも苦労をしろ」と言いますが、買うにしても、どの苦労を買うべきなのか、なるべく色々な選択肢を残しつつ考えるようにしましょう。世の中には、全く無意味な苦労がけっこうあるように思います。
あと、何となく今、いい感じにまとめを書いていますが、高校を辞めたからと言って、僕がなにか変われたワケではありません。大学を卒業してからも、ホームレスになったりしているので…(笑)
何度も書いているように、人はそう簡単には変われないものです。モチベーションが生まれないときは、無理やり頑張らなくて良いと思います。もし、今、高校を辞めたい人や辞めた人がこの記事を見てくれているのでれば、僕の体験談も踏まえて、これから、より『後悔ができる人生』を歩んでもらえたら幸いです。