イスタンブール。
僕にとって、昔から憧れの街だった。
ボスポラス海峡を隔てて、アジアとヨーロッパ、イスラムの雰囲気が入り交じるその街は、写真で見たり聞いたりするだけで異国感を感じる、僕にとってまさに『外国』の象徴だった。
そんな、イスタンブールに行きたいと思ったのは大学4年生の冬のときだった。
一人で行った東ヨーロッパの旅
大学生になってから、海外に旅をし始めた僕だったが、行き先は決まって東南アジアだった。
東南アジアの混沌とした感じや料理、街並みが好きだったと言うのもあるが、理由として一番大きかったのはやはり『安い』から。
往復の航空券代もそうだが、その他の移動費や滞在費が安く済む東南アジアは貧乏バックパッカーが旅をするにはもってこいなのだ。
東南アジアは、そんな貧乏バックパッカーの他に、世界一周を目指す人たちの通り道でもある。
それまでの旅の中で出会ってきた日本人たちの中には、これから『世界一周を目指す』という人たちも多く、話を聞くだけで憧れの感情が生まれていたし、実際に彼らとFacebookで繋がった後も、彼らたちが世界一周をしている様子を見ていると『羨ましいな』という感情があった。
そんなこんなで大学生も4年目の冬。
流石に『これから世界一周!』とはいかないが、卒業前の思い出として東南アジア以外に行ってみようと決めた。
とは言え航空券代や物価を考慮すると、選択肢はそんなに多くはない。
とりあえず行き先はそれらの条件を満たす東ヨーロッパにした。
東ヨーロッパ縦断の旅
東ヨーロッパの旅の行程は、次の通りである。
ロシア→クロアチア→セルビア→ブルガリア→トルコ
東ヨーロッパの中でも南側を縦断するルートである。
普段は東南アジアにしか行っていなかった事もあり、この旅の中では様々な事を新しく感じた。
初めのロシアやクロアチアは、がっつりとキリスト教文化なのだが、東に行くにつれイスラム教の文化が入ってきて不思議な雰囲気ができる、そんな文化の移り変わりが楽しかった。
また、途中のセルビア付近では国境問題など政治的な問題点も実際に感じることができた。
ブルガリアでは、アジア人への偏見が強い人もおり、街中で何度か人種差別を受けた。
イスタンブールに着いて心穏やかに
そんな旅の最後に、ようやくトルコのイスタンブールへ到着した。
これまで通ってきた、セルビアやブルガリアは、昔の社会主義時代の趣が強く、街に色がほとんどない印象だったが、イスタンブールは違った。
これまでが嘘のようにモノがあふれ、彩りがある。
そんなイスタンブールに着いてから安心した自分は、やはり資本主義のなかで生きていくべき人間なのだろう。
そんなイスタンブールに一週間弱ほど滞在した。
イスタンブールの街を歩いていると
イスタンブールの街は大きく分けて、『ヨーロッパ側』と『アジア側』に分かれている。
栄えているのはヨーロッパ側でアジア側には大きな建物もあまり存在しない。
街をうろつく時は当然、観光スポットが多く、栄えているヨーロッパ側で多くを過ごした。
そんなある日、ガラタ橋のたもとでサバサンドを食べ、ガラタ塔へ向かっている途中のこと。
ふと、すれ違った靴磨き職人が、道にブラシを落とした。
実はこれ、イスタンブールで当時流行っていたぼったくりの手法で、ここで取るべき行動は『無視』であったのだが、そうとは知らず、善良な日本人である僕は、ブラシを拾って靴磨き職人に渡したのだ。
靴磨き職人「ありがとう、君はなんて優しいんだ。」
僕「いやいや、当然だよ。気にしないで。」
靴磨き職人「なんとかお礼がしたい。そうだ!靴を磨かせてくれないかい?」
絵に描いたような、この流れに少し疑問もあったため、初めはその誘いは断っていた。
それに、その時履いていたのは近所のスーパーで買った799円の偽クロックスである。怪しいと疑わなくとも、そもそも磨いてもらうような靴ですらないのだ。
「この靴は磨かなくていいよ」
と、何度も言ったものの、それでも
「お礼だ、磨かせてくれ」
という職人の熱意に負け、人生で初めて靴を磨いてもらうことにした。
靴磨き台の上にクロックスを乗せ、それを磨いてもらっている光景はシュールで、通行人からも、奇妙な光景として映ったのか、ジロジロと見られ、恥ずかしかった。
そろそろ靴磨きも終わるころ、どこからともなく子どもが現れ、靴磨き職人に話しかけ始めた。
その子どもは、自分の子どもなのだと、靴磨き職人は話した。
おおよそ、その後の展開は読めていたが、靴磨きが終わると案の定の展開が起こった。
子どもが大きな病気で手術をしているのだが、お金に困っていて手術を継続できないのだとか。そう言って膝の切り傷を見せてきた。
確かに傷痕はあるけど、膝だしなぁ…
いや、膝だからダメというわけではないが、手術痕というよりは少し大きめの一般的なケガの痕に見えなくもない感じだったのだ。
当初はお金など渡す気もなかったのだけれど、15分ほど話していて早く移動したかったのと、お金にも余裕があった事もあり、1トルコリラだけ支払うことにした。
騙されたことは癪だが、言い合っても気分が悪いし時間ももったいない。
こうして1トルコリラを渡して、その場を後にした。
お金を渡したとき、職人の親子は少ないだのなんだのと文句を言っていたが、流石にそれ以上支払う気もなかった。
そんなこんなで、ガラタ塔を目指し歩きはじめてすぐ、後ろの方から声が聞こえた。
振り返ると先ほどの職人親子が何かを言いながら、こちらへ小走りで向かってきていた。
こちらへ近づくと職人は僕の履いているクロックスを指差して何か言っている。
「まだお金が足らないとか言っているのだろうか」
と、不安になったが、話を聞くとどうやらどういう磨きをしたのか、説明をしていなかったとのこと。
別にそんなものなくても良かったが、靴磨き職人のプライドなのかもしれない。
人の好意につけ込んで金をせびってきた割には、なかなか骨のあるやつだ。
僕が話を聞こうと言うと、靴磨き職人はクロックスを指差しながら説明を始めた。
「waterproof!」
一番最初に言うことが防水かよ!
これ初めから穴あいてるクロックスだぞ!
そんな事を思っているとその後も説明は続き、
「革靴用のクリームを使って艶を出したぜ!見てくれよ、ツヤツヤだろ?」
「豚の毛のブラシで丁寧にブラッシングしたんだぜ!」
なるほど。
ほー、すごく丁寧にありがとう。
でも、これ、799円のクロックスだからね。
クリームとか豚の毛のブラシとか、絶対意味ないぞコレ…
初めは好意につけ込んで金をせびってきた靴磨き職人だったが、最後はなぜかこちらが申し訳なくなったのだった。
この経験から学んだこと
・好意は無償で実行するものである
・その後は対価を期待しない
・クロックスは磨いてもらわなくてもよい