今の世の中、『高校』というものは義務教育ではないものの、『卒業する事が世の中の最低限』というような風潮になっています。
むしろ、今は大学ですらそういう風潮になりつつあるので、高校を卒業すると言うことは、社会への通行手形のような、それを持っていないと社会へ出られないイメージすらあります。
しかしながら、世の中には、「高校に行かない」「途中で辞める」という少数派もいます。かくいう僕も、高校を途中でやめた世の中の少数派。
今回は、
・僕がなぜ高校を辞めたのか
ということについて、書いていきたいと思います。
目次
僕がなぜ高校を辞めたのか
と、言ってもそんな大げさなことではありません。他の高校を辞めた人の話は聞きましたが、どの方も様々なエピソードがあり、いろいろと考えさせられるものばかり。それに対して僕は、『なんとなくそうなってやめた』って感じの、本当にあっさりとした感じなんです。
辞めた理由を一言で言うと、『モチベーションの低下』です。一応は高校に入ったものの、『勉強する意味』を感じることができなかったんです。
僕の生い立ち
ここでは、「生い立ち」と言うと大袈裟ですが、僕が高校までどんな道を通ってきたかを説明していきます。
受験ばかりの人生
通常、高校へ行くまでには、
幼稚園→小学校→中学校(僕の場合は中高一貫校だったので高校受験はなし)
と、いくつかのステージを通る事になりますが、僕は幼稚園、小学校、中学校とほとんどの通過点で受験をしてきました。
と、言っても、幼稚園受験はもはや記憶がありませんが(笑)
小学校受験も、ある程度の学力は問われたものの、運動能力等も必要な、総合力を問われる試験だったので、そこまで「勉強した」という思い出はありません。
人生で一番勉強したと未だに思うのが、中学受験時です。通っている小学校も遠かったので、毎朝7時に家を出て、学校へ行き、塾に寄って帰るのが10時、そこから勉強して寝るのが1時。テレビやゲームは週に一時間だけ。そんな生活を毎日していました。今思うと、一日中勉強しかしていない、本当に信じられない生活だったように思います。
もともと競うことが好きだった
今考えても信じられないような、勉強漬けの生活を可能にしていたモチベーションは、ずばり『競うこと』でした。
通常ならば、小学校の放課後に友人の家に集まって、ゲームしたりして『競う』ということもあるのだと思いますが、僕の場合は、皆が遠くから通うような小学校だったため、放課後に友達の家で遊ぶなんてことはありませんでした。『競いあう』ことを一番楽しいと感じるはずの小学校生活で競えることは、ほとんど無い環境でした。
そんな小学校生活の中で、唯一『競う』ことができたのが、校内の試験と塾の試験でした。中学受験に向けて、各々塾に通うのですが、小学校内では通う塾によって派閥のようなものがあり、学校の試験は、その派閥同士の戦いの場だったのです。(なぜか)それぞれの塾の看板を背負って戦い、少しでも上位になると、とても嬉しかったのを覚えています。また、塾の試験は派閥内のヒエラルキー(クラスの人気者たちはある一定の立場あったものの、それ以外の人は学力でヒエラルキーが決まっていた)を決定するのに使われていたため、そこでも少しでも上を目指そうと必死だったように思います。
そんな感じで、勉強をずっとしていった結果、目標としていた中学に合格することができました。
勉強ってなんでするの?という疑問
中学校に入り、僕は全く勉強しなくなりました。と、言うのも、中高一貫校に行くことになっていたため高校受験をしなくてもよかったので、小学校の時には「中学に入れば楽ができる」を合い言葉に勉強を頑張っていたからです。一種の燃え尽き症候群かもしれませんね。
今まで勉強に費やしていた時間は、全て『遊び』に注がれる事になります。小学校の頃にはほとんど触れてこなかったテレビやゲーム、ゲームセンターなど、魅力的なものが多く、学校を休んで遊んだり、自転車通学だったので時には50キロ以上離れたところへ行って遊ぶなど、ありとあらゆる場所へ行き遊びました。
そうなると、必然的に成績は下がっていきます。一時は塾に行ったりして、成績も回復したりしたのですが、もやは勉強するというモチベーションも無く、結局は塾も辞め、成績最悪の状態で高校へ進学することになりました。
なぜ勉強へのモチベーションが上がらなかったのか
中学校・高校時代、僕は本当に全く勉強をしませんでした。
嘘でも喩えでもなく、家で勉強をした時間は、中学校入学から大学に入るまでの6年間で50時間も無いと思います。とにかく勉強に対するモチベーションが無く、勉強というものをすることができませんでした。勉強を『しない』のではなく、どうしても『できなかった』んです。
なぜ、そこまでモチベーションが無かったのか…
それは目的や目標が無かったから。小学校の頃は、ただただ『競う』ということが目的でした。しかし、中学校に入ってからは、競うことに全く意味を感じなくなったんです。
つまり、自分には『夢』がない事に気づいたんです。
思えば、小さい頃から「将来の夢は?」と、大人に聞かれ、答える機会は多くありましたが、その度に「何か適切な職業を答えなければ」と、変に正解を求めて無理やり答えていたため、毎回言っている職業は違ったように思います。
そんな中、知らぬ間に周りの友人達は、夢を持ち、それを目標に勉強をしていたんですよ。「それに対して自分は…」と、勝手に比べて劣等感を持つようになり、唯一の取り柄だった勉強ができなくなってくことで、劣等感は増すばかりだったんです。
まさか、『夢』と言うものがこんなに自分を苦しめるとは思ってもいませんでした。
高校生活と不登校
皆さんもご存知の通り、高校は義務教育ではありません。そのため進級や卒業をするためには、試験である一定の点(赤点以上)をクリアして単位を取る必要があります。
僕は成績ももちろん悪かったのですが、学校をサボって遊んでいたりしたので、そもそも出席日数が足らず、試験すら受けることなく単位を落としまくっていました。
3分の2以上は学校に行っていたので、個人的に全く問題無いと思っていたのですが、国の基準だと、年間30日以上学校を休むと『不登校』と言う扱いになるんですね。
一般的に不登校と言うと、『イジメ』や『家庭内の問題』等、何か問題を抱えてそうなる場合が多いですが、僕の場合そのような問題は全くありませんでした。普通に楽しく生活していたし、仲のいい友人も何人もいました。あえて言うならば、『夢がないこと』が問題だったのかもしれません。
しかし、そんなテキトーな理由とは裏腹に、僕は先生達にマークされるようになります。まぁ、不登校生徒を抱える学校側の対応としては当たり前ですよね。
何か問題があるはずだと思われたため、何度も面談があったり、毎夜の電話を義務づけられたり、夜にドライブに連れて行ってもらったり。その度に、学校へ来ない理由を聞かれましたが、まさか、モチベーションが無いからとは言えず、いつも「なんとなく…」としか、答えられませんでした。本当に熱くて良い先生達だったのですが、決まって「何が夢なんだ?」と聞かれ、先生達の意見の元、夢を決定せざるを得ない話ばかりで自分の中の問題が解決される気配はなかったので、なんだか時間を奪ってしまって申し訳無い気持ちでした。
さらに、高校生ならば、会話の中で多少ボケたりツッコミを入れたりすると思うのですが、友人にツッコミで頭を叩かれているところを先生に目撃された翌日に、僕が学校を休んだため、その友人がイジメを起こしているものと勘違いされ、友人は職員室に呼び出され、怒鳴られたりしたそうです。友人との間で今では笑い話になっていますが、当時、本当に申し訳無い思いをした記憶があります。今、僕が先生に伝えたいのは、
あの時、僕が学校を休んだのは、ポケモンを育成していただけです!
ということ。
高校を辞める決意
高校二年生の冬のある日、僕は先生から職員室に呼ばれ、単位が足らないため進級できないという事実を告げられます。
そもそも、試験すら受けていない科目も多かったし、直前のテストで得意科目で学年5位に相当するはずの点を取っていたにも関わらず成績優秀者リストに名前がなかったので、うすうす分かってはいましたが、いざ言われてみるととてもショックでした。
また、思ったよりショックが大きかったことで、まだ高校生という立場(というか、社会からの目)を失う決意が無かったのかと、悲しくなったのを覚えています。
とは言え、その後の選択肢は現実的に3つしかありません。
1つ目は、このまま学校に残り、高校二年生をもう一度やる
2つ目は、通信制高校への転校
3つ目は、高校へ行くのを辞める
僕の場合は、このまま『高校』というものにすがっていても、自分に変化は無いだろうと思ったので、高校を辞めることにしました。この判断は本当に一瞬だったと思います。
先生との面談の日、これからどうするのかと問われた僕は、「辞めます」と伝えましたが、先生からは猛反対を受けます。理由としては、
- 中学入学までにしてきた努力が無駄になる
- もし、大学に行きたいと思ったとき、勉強する場が無くなる
- 働くにしても、高卒の学歴がないと厳しいのではないか
- 卒業しなければ、先輩たちに助けてもらえなくなる
まぁ、全て正論ですね。社会の事をよく分かった大人の意見です。ちなみに『先輩たちに助けてもらえなくなる』というのは、通っていた学校は歴史が長く、先輩たちは、地元だけでなく全国様々なところで活躍されており、同じ高校だと知ると色々と良くしてくれるというコネクションが無くなるぞ、と言うことです。
ただ、僕はなぜか、全てを辞めてサッパリしたいという気持ちが強く、話し合いは『高校を辞める』という僕の気持ちと、『高校を卒業して欲しい』という先生の意見が平行線をたどりました。このままでは埒があかなかったので、結局、間を取って、『高校には通わず将来を模索する、ただし、何かあったときのため高校には籍を残し、休学としておく』ということになりました。
まとめ
ここまで、僕が高校を辞める直前まで書いていきましたが、想像以上に意味や理由が分からない状態ですよね(笑)
昔からの自分を振り返れば振り返るほど、自分が”直感”だけで生きてきたんだなあと思います。
なので。。。
自分自身、本当になぜ高校を辞めたのか、未だによくわかりません。
ただ、本気でやりたくないこと(勉強)から逃げて、流れるままに生活していたらこうなったのだということはわかっていますが。
「このままでは、高校を辞めることになる」と、ことあるごとに薄々感じてはいましたが、そんな理由じゃあ勉強へのやる気が起きなかったのも事実。本当にモチベーションって大切なんだなと思いました。と、同時に己の危機意識には本当にがっかりさせられてきました。
最終的に、僕は大学へ進学します。その流れについては次回に書いていきたいと思います。